約10か月 チャームポイントの短い尻尾
●名前 | 美依(みい) |
●生年月日 | 2003年5月7日前後生まれらしい |
●性別 | XX |
●種類 | 雑種 |
●容姿 | 縞三毛/短い鍵尻尾/幼少の頃から少しおなかが垂れている かなり 胴長 |
●出身地 | 所沢の段ボール? |
●体重 | 十か月ですでに4.2キロ 5才で5.6キロ……。そのうちダイエット? |
●経歴 |
生後約1週間でS藤さんとW辺さんに保護された 5匹兄妹だったらしいが、3匹は保護後まもなく死亡。 (『諭吉』と名付けられたらしい兄貴はグレーの縞の美猫) みいはS藤家で授乳して育ててもらう。 インターネットの猫の里親募集で父が選び、生後約一月で 我が家の父に終身雇用される。 くしゃみが出るので6月に近所の獣医さんで簡単な身体検査。 7月、8月に3種混合の予防接種。 三か月半でサカリを迎えてしまい、予定より一月早い10月末に 避妊手術 2005年3月のリフォーム中、精神的な膀胱炎になる 2007年5月皮膚型の肥満細胞腫に罹り、手術。 |
●性格 | 気が強い お客さんが好き 不用意に触ると噛むか猫パンチで反撃する。 動物病院では『この猫凶暴につき』とブラックリストにのって いるかもしれない。 抱かれるのは嫌いだが、たまに膝にのってきて、人の顔をなめ 食べ物をねだる。 猫のくせに、かにかま欲しさにお手をする。 |
●好き | 高いところ/トイレ/ふろ場/かにかま/小鰺の干物類/猫草 |
●嫌い | 掃除機/地震/留守番/病院 |
■みい様の雇用に至るまで■
じつのところ、猫と暮らすことになるとは、思ってもいなかった。
父の仕事がら。仕事場と自宅が同じ場所にある。母が犬や猫をあまり好きではなかった。私自身、ペットを飼うという、人間の尊大な態度が嫌いだった。そして、命の責任を持つ自信がなかったからだった。
それなのになぜ? というと、
母が亡くなり、父は仕事を休業することになった。仕事を休んでいるので、趣味のない父は、退屈らしく、つい深酒になる。
かといって、私は母のように、べったりと父のそばにくっついている気にはなれない。で、父の退屈をまぎらす何かいい方法はないかと考えた結果、遊び相手を探すことにした。
人間だと、父の場合は気を使って、かえってストレスになるし、犬は、ほぼ毎日、散歩が必要なのと、主人と僕の関係で躾けなければならないので、世話をする私が無理。(散歩はともかく躾は無理なので)
猫は勝手に家の中を散歩しているし、躾るのは無理なので、思う存分甘やかせるというので、それならなんとかなるだろうと思えた。
『ペットを飼う』というと、なんとなく人間が、他の動物を下に見る感じがするので、それが嫌だったが、昔から、日本では猫は奉公といって、年期を決めて雇うらしい。内容は同じでも、『飼う』というより『雇う』という方が、猫と人が同等な感じで、私には受け入れやすかった。
で、猫なら遊び相手に雇ってもいいというと、父は、さっそく子猫を拾ってくるか、誰かにもらってくると言い出した。だが、そうそう都合よく子猫が落ちていたり、生まれたばかりの子猫の貰い手を探しているという知り合いはいない。(なにしろ父は、生まれて間もない子猫を自分に懐かせるようにして育てたいというのだ。せめて2か月、できたら3か月は親元で、が理想らしいのに)
子猫探しを父に任せておけば、猫が家に来ることもなかったかもしれない。
だが、親のいない生まれたての子猫を探しまわって、父にあちこち放浪されたり、私が一番忙しい時に連れてこられるよりは、多少は余裕のある時期に来る方が猫の為にもいいだろう。それにどうせなら羊年生まれだった母の命日あたりに生まれた羊年の子がいいなと思い、子猫探しに協力することにした。
私も父も、他国の血統書付きの猫を買う気はなく、日本の環境に一番適している(はず)日本猫がいいと意見が一致した。日本猫はすこし不格好だが、声が可愛いし、性格もいい。(らしい)(とはいえ今の日本の猫は、西洋猫との雑種化で、古来の日本猫は絶滅に近いそうだ。ジャパニーズボブティールは、外国で作られた日本猫なので、スタイルがよすぎる)
猫の世界でも雄より雌の方が長生きで健康らしい。それにネズミをよく取るのも雌だそうだし、母の代わりに雇うので、女子社員を希望することになった。
赤ちゃんの頃だと雌雄を間違える可能性もあるが、三毛ならほぼ確実に雌。まちがったら高価なオカマ猫様。それで、三毛がいいのではということになった。
動物病院で尋ねるという方法を知らなかったので、インターネットで『猫の里親探し』を検索。生まれて間もない子猫達の写真を父に見せて面接。
父が選んだのが、まだ生後2週間くらいのみいだった。
連絡を取ると、保護宅のS藤さんからは、子猫達は風邪をひいて入院中とのこと。退院を待ち、車で運んできて下さるというW辺さんが旅行から戻るのを待ち、みいが家に来たのは生後1月くらいの頃だった。すでに離乳食。(本当ならお兄ちゃまもいっしょだったほうが良かったのだろうが、初めてで2匹を受け入れられる自信がなく、可哀想だったが引き離すことになってしまった)
そして、みいは、父の遊び相手とネズミ、ゴキブリ駆除の従業員として、我が家に終身雇用で雇われることとなった。(従業員なので、ちゃんと労災もある。みいにとっては迷惑だろうが、避妊手術と年に一度の検診と予防接種の義務もある)
来たばかりの頃は、病院に連れて行っても大人しかったのに、予防接種をする頃には、先生を威嚇するようになってしまった。
みいを育ててくださったS藤さんのお母様は、きっと優しい方だったのだが、私が育児を代わってからは私に似て、気が強くなってしまったのかもしれない。
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